Friday, October 14, 2011

禅について



私と禅について書いてみる。始まりは15年ほど前。禅というものにはちょっと興味があって鈴木大拙の岩波新書の禅の本などを読んでみたが何のことか全然わからなかった。茶道にも興味があったので表千家の先生について習った。茶道の掛け軸と言えば、禅僧のものが定番なのでここでも禅にたいする疑問がわいた。禅とは何なのか?しかしどうやら本を読んでも分からないだろうなと思っていた。

松門寺

松門寺に行ったのは1998年のこと。インターネットで見つけた。松門寺は曹洞宗のお寺。ここの坐禅会は月一回、2,30人の人が集まり、坐禅の時間、正法眼蔵の講話の時間があった。お寺は住職である老師が一人で取り仕切っている。坐禅堂はモダンな作りで新しく清潔だった。坐禅の時間には、独参(どくさん)がある。独参では老師の部屋に一人一人入り対座し、坐禅についての質問や見解を述べる。坐禅がはじまりしばらくすると、独参開始の合図が鐘の音で知らされ、坐禅をやめて独参の部屋の前に並ぶ。

坐禅とは仏教である。インドからやってきた達磨が唐の時代の中国に伝えたということになっている。老師の言い方では、坐禅とは「自分自身になる」ことであった。これは指導者の説明の仕方により、いろいろな言い方がある。ある人は「即心是仏」と言った。言葉で何と言っても当たらない。言葉にはとらわれないようにとのこと。

「自分自身」、それ以上のことはない。また、従うべき指針や善悪の基準があるわけではない。つまり禅には教義がないのである。「自分自身になる」にはどうすればよいのか?「何もしなくてよい」と老師は言う。何もしなくてよい?一体どういうことなんだ?「坐禅のときに、集中ができません」、それが悪いことだと誰が決めたのか?集中すべきと思ったのは自分。そこから離れてごらん。集中できない自分を自分として受け入れる。それが坐禅の一部。という調子。一筋縄ではないのです。

老師は東工大の化学を出た人。答えが分かるのは答えが分かったとき、という事の性質上、先生が信用出来るかどうかが鍵となる。こちらも理系だからということもあったのかもしれないが、この人が有ると言ったものは本当に有るのだろうし、出来ると言ったことは出来るのだろうと思った。

それにしても、ちょっとした疑問を解消しようとしているのにしては、何だか遠くにきてしまったなあというのが私の気持ちだった。


私の独参

私の独参は、最初のうち質問。松門寺に行けば毎回行っていた。3回くらい行ったところで、もう質問することがなくなった。「公案をやってみるか」と言われた。公案とは坐禅の先生から弟子への質問である。禅宗でも曹洞宗は公案をやらないとされていて、臨済宗では公案をやる。しかし曹洞宗も臨済宗も本は同じ、違いはない、曹洞宗ではあるが、うちでは公案をやりますとのこと。次に来るときにはこれに答えてくださいという意味のことを言われた。これができたら「悟ったことになるのかな」などと思った。一ヶ月後、何と答えたのか忘れたが、それは違うね、という感じのことを言われた。公案はテストであり、悟っているかどうかがたちどころにわかるのが公案だとのこと。何なのだろうか。その答えは、本の後ろの方に「解答」が書いてあるような類いのものでない。

「誰にでもでき」て、それをするのには「何もしなくてよく」、「いつ分かってもおかしくない」と言われればいてもたってもいられないだろう。絶対に分かってやる、と思っていた。

そういう独参が2年くらい続いた。一ヶ月ごとに答えを持っていって、否定されるまでに10秒とかからない。方向は良くなってきているけれどね、など。その後ちょっと雑談するなどして退席である。一体オレはなにをやっているのかなあというのが正直なところだった。老師が言うところによると「100メートルの棒の上を歩いてきた。その先っぽにいる。お前はそこから一歩を進めないでいる」とか、「柿は熟すれば自然に木から落ちる。それなのに、お前は自分の力で木にしがみついているだけだ。なんで自分の力を使おうとするのか」など。これらの言い回しは、古来の公案にある言い方である。

さて、およそのことは分かった。しかし一体なんと言えば通してくれるのだろうか。今にして思えば、そう思っていること自体に問題があったのだろうなあ。あるとき、「一人通った人がいる」、と言うことだった。うらやましいなあと思った。「他にも通りそうな人がここには何人かいる。」それ、私のことなんだろうなあ。

最後には、この他には何もない、棒の先にいるなら先にすすもう。通ろうという気持ちで独参に向かった。いくつかのやりとりのあと、老師は言った「これからもしっかり坐ってください。」

これが2001年の夏のこと。この最後の独参のあと、老師のところには行っていない。

肝心なところは、禅は紙に書いてある知識ではなく、自分自身との対話である点。本をいくら読んでも分からなかっただろうと思う。また、チェックしてくれる指導者が必要である点です。

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